世界史の視点~「資本主義と社会主義」~・・・佐藤

こんにちは!
乾燥肌が治らない佐藤です…。

今回は世界史の内容を用いつつ、
今までとは違った観点でお話ししたいと思います。

 

世界史において、特に近世以降では
「資本主義」と「社会主義」という言葉をしばしば目にします。
聞きなれない人のために、簡単に説明をします。

資本主義とは、個人や企業が利益を追求する自由競争のもとで、社会全体の利益を増大させる体制のことを言います。大まかな特徴としては以下の通りです。
・格差を肯定する。
・私有財産を肯定する。
・労働の量や質に比例して報酬(給料)が増える。

それに対して、社会主義の特徴は資本主義の真逆となり、おおむね以下の通りです。
・格差を否定し、平等を追求する。
・私有財産を否定する。
・労働量や質に関係なく、すべての人が同じ報酬(給料)をもらう。

といった感じでしょう。

資本主義は努力をすればするほど自らの賃金が上がり、より多くの金を稼ぐことができますが、格差を肯定するという性質上、貧富の差が生まれ、それに関連して企業や法人の倒産が発生したり、失業者が生まれてしまうという弊害があります。

社会主義は格差を否定し平等を追求するため、貧富の差は生まれず、万人が均等に給与をもらうことができますが、労働量と報酬が一致せず、いくら稼ぎを上げるために努力をしえど賃金が上がりも下がりもしたいため、働かなくなる人々が続出する可能性があるという弊害があります。

世界史だけでなく、現代社会や政治経済にも出る可能性がある用語であるので、ここで簡単に抑えておきましょう。

 

では、現代日本で考えてみましょう。

言うまでもないですが、現代の日本は資本主義を採用しております。
その証拠に、労働者は一人ひとり報酬が違います。
企業や法人の倒産や失業者も発生することもあるため、もはや疑いの余地がないでしょう。

 

しかし、現代日本において、社会主義的な要素が一つだけあります。すなわち、日本国民全員に平等に配られるものが一つだけあるということです。

それは「時間」です。

日本人は日付が変わるたびに86400秒を手に入れることができます。
そしてそれは貧富の差や男女差などのあらゆる差異関係なく、平等に手に入れられます。

しかし、その86400秒の使い方は、人それぞれ違います。
必死に勉強したり、それ以外の努力をしたりして、できる限り自分に投資する人もいれば、遊びや享楽にふけり、価値ある86400秒を徒(いたずら)に過ごしてしまう人もいます。

 

皆さんは前者と後者、どちらになりたいでしょうか。
お金は失っても仕事などによって取り戻すことができます。
しかし、時間は失っても戻っては来ません。

しばしば「お金は考えて使わないといけない」という言葉を耳にしますが、二度と戻ってこないこと、時間を自らの力で増やす手立てがないことを考えると、時間はお金と同じか、もしくはそれ以上に「考えて使わなければならない」ものだといえるほど貴重なものであるのは間違いないでしょう。

 

受験シーズンも始まり、今週末はついに大学入試共通テストです。
みなさんは貴重で、平等で、限りある時間をどう過ごすでしょうか。

 

一日一日という時間を大切にすることは、すなわち自分を大切にすること…